いつかどこかの世界
 『ワカヤマール物語』
  〜もうひとつのお話し〜


いつかどこかの世界に、ワカヤマ−ルという国がありました。
ワカヤマ−ルは大国オオサカリアの隣にあり、これといった特徴のない国です。
けれど人の心はとてもおだやかで、
どこにもまけないことが一つだけあります。
それは国境地帯にほど近いロ−サイ山のふもとに
一人の魔女が住んでいることです。
「北の魔女アイコ−ディア」
人々は敬愛と親しみを込め、彼女のことをそう呼んでいます。


ある砂漠の国には、古い言い伝えがあります。
月の夜に生まれたお姫様は、月の国に嫁くと…。
そしてその国のお妃様が玉のような女の子を生んだ夜、一匹の銀のラクダが国にやってきました。
姫はたいそうな病をすることもなくスクスクと大さくなり、
17才を向える日は、まるで夢のようにやってさました。
姫ならばいずれは良い婿を探して嫁がせなければならぬもの。
王様とお妃様は、普通の娘より嫁ざ先が早く決まりすざただけなのだと、
そう心にいい聞かせました。
王様とお妃様は、せめて可愛い姫の姿を残そうと、国中から画家を集めさせたのです。
しかし姫は、画家達が自分の力量を示すどんな素晴らしい絵を見せられても、
けして誰にも肖像画を書かせようとはしませんでした。
時は過ぎ、一人二人と画家達は宮廷を去り、とうとう残ったのは、まだ駆け出しの
若い画家だけになりました。
最後の画家に、王はなんとしても姫の肖像画を描くよう命じました。

その日、
高い塔の窓から乾いた砂漠をみおろしていた姫は、手摺に肘をかけたまま、
青年画家にこう言いました。
「父上や母上は、私の絵を見るたび、きっと悲しい思いをなさることでしよう。
だから、わたくしは、わたくしがここに居たという証しを、何一つ残したくないのです」
気丈に話す姫の愛らしい姿を、宮廷画家はただ黙って見ております。
何も残したくはないという姫の思いに対し、画家の精一杯の努力です。
絵は描かない。
しかし、何も残さぬごころか、彼は目を閉じていてさえ姫の肖像画が描けるほど、その姿、面差しが
焼さ付いているのです。
この城に来てからというもの、彼はいつも遠くから姫の姿を追っていました。
自分にはとうてい描くことなどかなわぬ方だと思いながら。

姫にも、自分がここ居た証しは、ただ一人の記憶にあれば良かったのです。
でもそれは目の前に居る当人さえ気付いていないのですから、ただ捨て去られるだけの思いです。
たしかに、たった一枚だけでも絵があれば、誰もが姫の姿を忘れてしまうことはないでしよう。
しかし絵は絵で姫ではないのです。
長い時が過ざさったとき、人は姫を思って絵を見るのではなく、
絵を見ては姫を思い出すのです。
いつかは忘れられるという悲しさが・・・、未来に嫉妬するような虚無感が
姫にはあったのです。

自分の中にある一つの言葉を心の中にしまい込み、姫はただ
「いつかさつと、あなたに描いていたださます。 だから忘れないでいて下さい」
と微笑みました。
その言葉に若い画家は、「はい、かならず」とだけ応えます。
彼もまた自分の思いを抱えたまま、姫の笑顔を曇らせない自分を演じる事で
せいいっぱいでした。
こうして今、始めて言葉を交わした二人は、二度と萬び会うことはありませんでした。

あちらの世界に1年のほどの月日が流れ、月の都の王妃様は壁に掛かつた自分の
肖像画を眺めておりました。
今日は姿を現さない王妃を心配した王様が、部屋に入って驚さました。
おお、これはこれは、なんとも見事な絵ではないか」
王妃様は王様に微笑みかけると、優しく
「はい」
とこたえます。
壁の絵は、そうですあの宮廷画家が描いたものです。
王妃様は王様に心配をかけたことを詫びると、
二人は寄り添い絵を見上げました。
そして王妃様は泣きそうな瞳を上げ、その絵に向かい、限りなく優しい笑顔で
微笑んだのでした。
あちらの世界とこちらの世界では、時の流れが違うのです。
姫が一年を過ごす間に、すっかりこちらの世界は時間が流れてしまうのです。
しかし姫の一年が短くて、宮廷画家が過こした何十年もの月日が長かったのか、
それは当人にしかわからない事でしよう。
けれど、きっと幸せだろうと思います。
だってあちらの世界の人も、こちらの世界の人も、みんなとても強くて、
とても優しい人ばかりなのですから。